梅屋の[産地訪問記](1) OLN(群馬県桐生市)

覚悟とあたたかさが織りなすもの、それがOLN(オルン)

この織物には、何かがある。静かに、でもきれいな風が吹き抜けるような清々しいなにか。
その秘密を知りたくて、OLN(オルン)の工場を訪ねました。

それは関東地方が梅雨入りした日でした。
奥様の忍さんが、迎えてくださった、OLN(オルン)の工房兼ギャラリー「オルンショップ」へのアプローチ。ここからもう、揺るぎないセンスを予感します。



一歩中へ入って、それは確信へと変わりました。





目次

what’s OLN(オルン)?

what’s OLN(オルン)?

誕生のいきさつ

OLN(オルン)は、桐生にある井清(イノキヨ)織物が展開するブランドです。

2014年に4代目井上義浩さん・忍さんご夫妻が新たなモノづくり試みのカタチとして立ち上げました。
 
創業1953年の伝統ある帯の織元、井清織物を継ぐべく故郷に帰ってきた義浩さんを待っていたのは、「織物工場のことを何も知らない自分」との対面でした。そこでまず工場の掃除から始めます。すると見えてきたものがたくさんありました。なぜ織物に傷が入るのか、なぜ機械の不調は続くのか。

床掃除や整理整頓から始めた工場での仕事は、次第に機械の仕組みや修理を学ぶことへとつながっていきました。
はじめは孤軍奮闘の日々でした。織物工場には「機械直し」と呼ばれる専門職の人がいて、織機の修理や調整を行うのが通例です。当時の井清織物にはその職人がいないことが大きな問題でした。
義浩さんを助けてくれたのは、とある「機械直し」専門の外部の職人さんでした。自分の仕事の技術を惜しむことなく教えてくれた稀有な職人さん。その職人さんと二人三脚で取り組んできたことはやがて形になります。
義浩さんは機械の修理から「紋紙(もんがみ)」と呼ばれる、織物の柄のプログラミングの作成技術まで身に付けたのです。工場に入って数年が経過していました。

▼兵児帯を織っている織機の前の義浩さんと、梅屋店主 梅原麻里


▼織機を動かす義浩さん


▼紋紙(もんがみ)


義浩さんの傍らにはいつも忍さんがいました。忍さんは以前は東京のアパレルメーカーでデザイナーをしていて、ご自分のセンスをしっかりと持っていました。
義浩さんの理想を具現化する、「力強さと地頭の良さ」(義浩さん)を持った人です。
 
▼柔和な笑顔の忍さん


自分達の理想とする織物を、呉服とは違う「場所」で見てもらいたい、そんな思いから二人はストールや雑貨を創り出していきました。当時の主力製品としての帯は、問屋さんのアイディアに添って作っていくという、二人には物足りないものだったからです。
クラフトの展示会などに徐々に参加していくようになり、やがてOLNが誕生しました。


義浩さんと忍さん


お二人の間には、柔らかい阿吽の呼吸が流れているように見えました。そしてお互いへのリスペクトがありました。
 
「しのさん(義浩さんは忍さんをこう呼びます)は、生きる力のとても強い人なんです」
「僕が理想とか夢を追っているとき、具体的にこうしよう、こうしなさいとか、決めてくれるのがしのさん」(義浩さん)

忍さんは、桐生の工場に来たときから工場の現場に入ったのだそうです。「だから工場のおばちゃんたちからの、仲間としての信頼があるんです」
 
その信頼関係は、OLNの売り場へと反映されます。展示会は初期の段階から忍さんの担当でした。「展示会でお客さんが望んでいるものがなかったとき、じゃあどうすれば次に繋がるか?を必死で考えるんです」そう語る忍さんの瞳には力が宿っていました。「工場にいて機械も動かしていたから、わかることも多いんですよね」(忍さん)
「モノを作るのと同じくらいの熱量がなければ、モノは売れないんだよね」(義浩さん)
忍さんにはその熱量がたくさんあったのです。
「最初は女性だからって嫌味を言われたこともあったんですよね、でも成果出しているのはしのさんの方だから」(義浩さん)
 
今回のインタビューも答えてくださるのは主に義浩さんでした。忍さんは、義浩さんの横で微笑んでいることが多く控え目に見えました。が、その落ち着きが彼女の秘めた強さを物語っていました。そんな忍さんを「同志」と義浩さんはいっていたのでした。
 

TEXTILE COMES FIRST(織物が答えを知っている)


▼工場の入り口には、こんなポスター



これは、著名な音楽プロデューサーのクインシー・ジョーンズの言葉をお手本にしたのだそう。「The Music Comes First」(迷った時は、音楽が出てくるように導いてあげればいい)を自らの生活に置き換えたもの。いろいろある悩ましいことは一旦おいて、どんな織物が好きなのか、織りたいのかに正直になる、そんな心構えなのだと感じました。
自分たちの信条を掲げるのも、自然体を忘れてはいないのです。

OLNの覚悟

嘘のない生き方


今回、OLNの二人の言葉で最も印象深かったのは、
「自分に正直に暮らしていないと、好きなモノがわからなくなるんですよ」
という、共通の好みのアーティストの作品を前にして、語られたひとことでした。

OLNの活動を進めるにあたって、「この人好きだな」と思う人との仕事を選んでいたら、いまのOLNの位置に立っていた、といいます。周りには、好きな人しかいなくなっていったのだ、と。
 
「もちろん、売値が決まっていて価格ありきという形態も間違いじゃないんです、でもそれだけでは自分が苦しい」(義浩さん)せっかく一から作れる立場にあるのなら、一から作ろうと思う、そういう姿勢を貫くのも覚悟なのです。
「もうね、あの時ああすればなんて後悔はしたくないし、残りの人生はこれに賭けたいんです」(義浩さん)


▲この作品は、桐生にあるギャラリーで求めたものだそう。

この作家を二人とも気に入り、忍さんはブローチを購入し、その後義浩さんがこのタブローを入手。見ているととても気持ちがいい、と愛おしそうに眺める義浩さん。穏やかな表情です。いい奥様ですね、と言ったら笑顔で頷く忍さんでした。
 

ブルースが流れる人たち


OLNの活動が少しずつ軌道に乗り認知されてきた今でも、織物産地としての桐生の現実は厳しいものがあります。織物業がわが国の主要産業だったのは明治から昭和初期にかけて。その後全国各地に根付いていたはず織物業は、一つまたひとつと風前の灯となっていきました。
絹織物の大産地であった桐生も例外ではありません。
OLNや井清織物の周辺でも、工場の廃業など哀しい出来事は起きています。
産地はさまざまな工程の工場や職人が、分業し、まさに織物のように経糸緯糸となって絡み合っています。一社の不幸が連鎖を呼ぶこともあるでしょう。
そういう事情に頓着なく、乗り込んでくる人たちも多い、ということでした。
 
「そういう人にはさ、ブルースが流れていないんだよね」(義浩さん)
「言葉だけで、産地が、職人が大事っていっている人って、わかっちゃうんだよね」(同)
 
 

産地や工場に思いを馳せてくれる人となら、この人のために仕事がしたいと思える、そういうことです。
「僕らは自分で考えて織物を作れることで、自分の価格は自分で決められるようになったんです。
でもね、僕らの後ろにいる人たちがみんなそういう立場なわけじゃない。一定の対価しか得られない立場もあるんです。値切ってくる人の言葉を、僕らがのんでしまうことは、彼らの対価も減らすことになるんです」(義浩さん)
だから、安易な値切りにはのらないのもOLNの信念なのです。
 

OLNの二人が愛するもの


ご自宅はオルンショップから歩いて数分のところです。
定時には仕事を切り上げてさっと帰るのがいつものスタイル。
美味しいお酒と肴で一杯、が大好きな二人。忍さんはビール&ワイン党。義浩さんはこれまで飲み過ぎてきてしまったため、ビール以外。忍さんの料理の腕前は、義浩さんの折り紙付きでした。
 
「大まかな趣味や好きなものの、方向が合っているんですよね」(忍さん)
 
二人は桐生の“いま”がとても好きなのです。モノづくりの作家やアーティスト、職人、美味しいもの、二人と同世代の感性豊かな人たちが増えてきていて面白いのだそう。



オルンショップは桐生を愛し、そしてとても愛されていました。



OLNの織物に吹く風の秘密。
それは、桐生という町に生き、織物で生きる覚悟を決めた二人の温もりと強さだったのか、という思いが胸をよぎりました。

2022年6月6日訪問 
記事:近藤恭子                                                                                                                          TOPへ戻る

 

 

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